腐ってしまったりんごの話
もう一年以上も前の話なので。
3年ほど付き合っていた恋人を捨てました。
本当に申し訳ないことをしたと今でも思っています。でも、すっきり、すっぱり切り捨てました。
留学へ行くわたしを見送りに来てくれて、休みには就活の合間を縫って飛行機に乗って会いに来てくれる。そういう人でした。
優しくて、いい人でした。
別れてから嫌なところもたくさん思い出すけど、良いところがたくさんあった人でした。
だからこそ、別れてよかったと思います。
わたしは腐っていくりんごでした。
もともと腐っていたのか、何かの拍子に傷がついて、そこからじゅくじゅくと膿んで腐っていったのか、今となってはもう思い出せません。
一つ言えるのは、小鳥といる間はわたしは腐りかけては傷をかじり取ってもらい、また腐りかけてはそこをかじり取ってもらい、そうやって彼に腐りかけの破片を食べさせることばかりしていました。
わたしはいつだって新鮮なりんごではありませんでした。でも、自分もいつかは新鮮なりんごに、丁寧に皮を剥かれて、お砂糖で甘く煮られて、黄金色に輝くアップルパイになれるかもしれないと思った。そう夢みていました。
でも違った。ある日わたしは、朽ち果てていく自分の姿が見えました。腐ったりんごを口にした彼は、おなかを壊して、苦しみました。
なんて不幸な人だろうと思いました。たまたま腐りやすいりんごに目をつけたばかりに、彼が不幸になると思いました。
自分が嫌になりました。彼に新鮮なりんごを食べさせてやれないことに。嫌になったのです。彼に新鮮なりんごを食べさせてやる努力すらできない自分に。
わたしは、自分なんて腐ってしまえと思いました。生きている価値などないのだから、いっそのこと腐ってしまえと。
けれどわたしが腐ってゆくとしても、彼には腐ったりんごを食べて欲しくありませんでした。
朽ち果ててどろどろに溶けてしまうのは、私だけでいいと思いました。わたしだけでいいと思った。
腐りかけのりんごの、最後のきもちでした。
彼と別れた後、わたしの気持ちは晴々としていました。
わたしは嬉しかった。もうこれ以上、自分以外の誰かの人生を、侵さなくてもいいことが。
腐りたければ勝手に一人で腐っていけばいいことが。
わたしは、自由になりました。
わたしは、彼が好きだった。幸せになって欲しかった。だから別れを告げた。当然、彼が幸せになったかどうか、わたしには確認する権利があると思っていました。
でもそれは違っていたのです。
よく考えればわかることです。小鳥は別のりんごを食べに行くに決まっています。別のりんごを啄んで、腐ったりんごのことなどすっかり忘れてしまうに決まっています。
動物だから。
気づけばわたしは地面にぼとりと落ちていた。
腐り切ったりんごは異臭を放っている。小鳥がどうなったか、わたしに知る余地もありません。
そうしてわたしは死にました。死んでいきました。